190507 藤原東演 / 『捨てる幸せ』 読書グラフィ 今日読んだ本

読書グラフィ 今日読んだ本

★藤原東演 / 『捨てる幸せ』



●人の心に必ずある4つのもの

(1)「いつも足りない」という”渇する”気持ち。


(2)「損得」「勝ち負け」「善悪」といった

 ”二つの考えのどちらかに偏る”考え方。


(3)こだわって”心を固くする”頑なさ。


(4)自分の思いを”手放さず執着する”心。



●人間は欲でできている。


 福沢諭吉「もっと、もっと欲を出しなさい」と勧め、

 野心野望があればこそ自分のためになるし、社会のためになると、

 明言しています。

(中略)

(ただし、)欲の付き合い方まで教えています。

「欲の平均を失うべからず」とし、

「平均を失えば有害なり」と警告しているのです。


 欲と上手く付き合う。



●本当の「幸福」とはなんでしょうか。

 それこそ”心が何ものにも乱されずに、安らかである状態”

 つまり「安心(あんじん)」であることだと考えています。


 このように「幸せ」を「安心」ととらえなおしてみると、

 幸せな人生とは、必ずしも

 果てしない欲を満たし続けることで得られるものではない、

 ということがわかります。

 平穏無事な心のあり方は、

 欲にまみれ、欲を追い求めてばかりでは生まれないからです。


 求め続けるのではなく、まったく求めないわけでもない。


 適度に求め、求めすぎないなかでこそ、

 揺るぎない、芯からの幸せが感じられるのではないでしょうか。



●一番、心地よいあり方とは、

「あっても、なくても、気にならない」状態ではないでしょうか。


 今のままで、満たされているわけでも、足りないわけでもない。


 満腹でもなく空腹でもなく、

「これでちょうどいい」と収まっている自分を感じたとき、

 心の一物のこだわりは取り払われ、

 スッキリと晴れやかな心で生きていけるのではないでしょうか。


●「無功徳」とは、功徳が「ない」という意味ではありません。

 言うなれば功徳を「求めない」ということです。


 求めないこと、功徳にとらわれないということが、

 すなわち功徳であると言ったらいいでしょうか。


 人からの評価も尊敬も感謝の言葉も見返りも求めず、

 ただ黙々と徳を重ねつづけるという生き方ができたら、

 私たちは今よりずっと、清々しく生きられるのではないかと思います。


 求めれば、自分の期待に反して、得られなかったときに心が苦しくなります。

 最初から期待しなければ、得られなかったときの苦しみも存在しません。


 私は「無の功徳」と呼んでいます。



●「無功徳」の境地にはなかなか至れなくても、

 「おかげさま」を意識してみる。



●「名利の欲」は誰にでもあるものですが、

 行きすぎるとそれに支配されてしまい、自分を見失ってしまう。

 これではかえって不幸せになっていくあやうさがあります。


●欲は生きるために必要とはいえ、

 増えすぎたり方向を誤ったりすれば、人生を狂わせる凶器ともなりかねないもの。


夏目漱石

 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉(あかとんぼ)


エピクロス

「あらゆるものの中で、最大の富、それは自ら満ち足りている心境である」

 つまるところ、「幸せはものの多寡ではかれるものではない」ということ。


 ものがありすぎても、なさすぎても、幸せとは言えず、

 ただ、今ここに存在していることが、ひたすら幸せである。



※実践は自己責任で。


#読書 #人生訓