190518 岸見一郎 / 『子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』 読書グラフィ

読書グラフィ 今日読んだ本

★岸見一郎 / 『子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』



●いくら叱っても少しも行動が改まらないのは、

 親から注目を得るために、叱られることを子どもが願っているからです。


 叱っているのに問題行動をやめないのではなく、

 叱っているからこそ問題行動をやめないのです。


●子どもが落ち込んでいても、残念ながら親はどうすることもできません。

 そのような時に、親が子どもに

「つらそうだね」と声をかけようものなら、

 子どもは誰かにそんなふうに声をかけてもらえなければ、

 自力では苦境を乗り切れないと思うようになるかもしれません。


「つらそうだね」とか「大変だったね」というような言葉を

 誰かにかけてもらえたら気持ちが楽になるかもしれませんが、

 他の人が必ず声をかけてくれるとは限らないということは

 子どもに知ってほしいのです。


 安全な関わり方がないわけではありません。

「何かできることある?」とたずねてみることです。

 子どもはきっと答えるでしょう。

「うん、ある。ほっといて」



●子どもたちに必要なのは「生きる勇気」です。

 子どもは自分の力で解決しなければならない問題に

 取り組んでいかなければなりません。


 親とて子どもの人生を代わりに生きることはできませんが、

 子どもが生きる勇気を持つ援助をすることはできるのです。


 このように理想ではなく、ありのままの子どもを見るためには、

 問題があろうが、自分の理想とは違おうが、


 この子は私のかけがえのない大事な人である


 と思ってつきあっていこうという覚悟がいります。


 今は一緒に生きていても、子どもはやがて必ず親から離れていきます。

 子どもと諍い(いさかい)をしている暇はないのです。


 ありのままの子供を認め、

 子どもが、親のためでなく自分のために成長していくように願うことが、


 親としてできることなのです。



●自分が自分の人生を選ぶということは、

 子どもにとっては厳しいことではあります。


 しかし、親から信頼されている、

 と感じられるような子どもは幸せとは思いませんか?



●子どもとの関係をよくするためには、

 子どもを大人と対等の存在と見なければなりません。


 子どもと対等に接するためには、そんな時でも、

 子どもも頭ごなしに叱らずに、

 冷静に子どもと向き合うことができなければなりません。


 子どもを自分と対等と見ない人だけが、

 子どもを頭ごなしに叱ったり、叩いたりするのです。


 子どもの行動にはいつも必ず理由がありますから、

 叱ったりしないで、まずは、子どもの話を聞くことが大切です。



●子どもが熱を出してぐったりしているのを見ると、

 親の手に余るようなことをしている、

 いつものような子どもに戻ってほしいと願わない親はいないでしょう。


 元気になればそんなふうに思ったことなどすっかり忘れてしまうわけですが、

 折に触れて、こうあってほしいという

 親の希望や理想を子どもに押し付けることなく

 生きていることそれ自体をありがたく思ってほしいのです。


 いつ大きな災害が起きてもおかしくはない時にあって、

 子どもが毎日無事に生きていることが

 すでにありがたいものではないでしょうか。


 そのように思えれば、子どものどんなことでもプラスに感じられます。

 一度、そこまでつきつめて考えれば、

 子どもが何をしても、何をいってもびくともしなくなります。


●静かにしてくれてありがとうと声がけしましょう。

(ほめられなくても適切な行動をするために)


●「悪い親」がいるのではない、「下手な親」がいるのだ。


●子どもがスマートフォンのゲームにはまり、

 少しも勉強しないという相談をよく受けます。

(中略)

 一つの考え方としては、

 ゲームをするもしないも子どもが自分で決めることなので、

 ゲームばかりして勉強がおろそかになって成績が下がっても、

 子どもが自分でなんとかするしかなく、親は静観すればいいのです。


 他方、ネット犯罪などに巻き込まれることがないように、

 親は子どもに注意しなければなりません。

 大人は子どもに適切な使い方を教えなければなりません。

 しかし、その時、親子関係がよくなければ、

 子どもは親のいうことを聞かないでしょう。


 ゲームをする、しないは、本来子どもの課題ですから、

 ゲームのことで子どもと話したい時は

 親と子どもの共同の課題にする手続きを踏む必要があります。


 そこで、「ゲームのことで一度話し合いをしたい」

 というふうに話をし、子どもが共同の課題にしてもいいといえば、

 親子で話し合うことができます。


 力ずくで取り上げたらいいではないかと思う人もあるかもしれませんが、

 そうすることは後々の親子関係をこじらせることになります。



夢枕獏神々の山嶺(いただき)』



●仕事のことを英語ではcalling、ドイツ語ではberufといいますが、

 神に呼ばれる、とか呼び出されるという意味です。

 日本語では「天職」といいます。



●子どもは大人と対等であると考えて、

 尊敬の念をもって接すれば、親子関係はずいぶんと違ったものになります。


 二つの提案をします。


 一つは、子どもの人格を傷つけるような言葉をいわないということです。


 子どもを傷つけるようなことをいわないだけで

 子どもは元気になります。


 次に言葉遣いについてですが、丁寧に話すことをお勧めします。


 いつも必ず子どもに敬語を使わなければならない

 ということではありませんが、

 何か子どもに頼む時にはせめて命令しないで、お願いしましょう。


 そのためには、「~しなさい」ではなく、

 疑問文か、仮定文を使って、「~してくれませんか?」とか

「~してくれると嬉しい」といってみましょう。


 多くの場合、子どもはその方がはるかに気持ちよく

 お願いを聞いてくれるでしょう。



アドラーは、劣等感は誰にでもあり、

「健康で正常な努力と成長への刺激」である、といっています。

 
 劣等感があるからこそ、努力して上を目指そうと思うのです。


 ただし、それは、他者と比較することから生まれる劣等感ではありません。

 今の自分よりも前に進むためにいっそう努力すればいいのです。


 子どもがこのように思えるために親は結果に注目してはいけません。

 今の自分よりも前に進もうとすることこそに価値があるのです。


 だから、結果ではなくそこに至るプロセスに注目するために

「頑張ったね」と声をかけることができます。


 勉強する子どもにもしない子どもにも

「頑張れ」と声をかけてしまいがちですが、

 このようにいうと

 次も確実にいい成績を取れるという自信のある子どもでなければ、

 プレッシャーになります。


 また、励ますつもりであったも実力をはるかに超えるような目標を設定すると、

 もっと頭がよければいい成績が取れるのにと考えるなどして

 自分の劣等感をいいわけに使い始めてしまいます。


 親が期待するほど頭がよくないからいい成績を取れない

 といって今よりもいい成績を取るどりょくを断念してしまいます。


 何らかの理由を持ち出して課題に取り組まないことを

 アドラーは「劣等コンプレックス」といいます。


 いい成績を取れず、親の期待を満たせないと思い込んだ子どもは

 何かしらの理由を持ち出して課題から逃げようとします。


「本当はやればできるのに」といわれても、

 あるいはそういわれるからこそ、一生懸命勉強しなくなります。


 そのような子どもにとっては、

「本当はできる」とう可能性を残すことが大切で、

「頑張ったのにいい成績を取れない」

 という現実に直面してはいけないからです。


「本当はできるのに」

 といわれると

 勉強しなくなります。



●優秀であると思われるためであれば

 カンニングのような安直な方法で優れようとすることを

 アドラーは「個人的な優越性の追求」と呼んでいます。


 仮に地道な努力をしないで成功したとしても、

 そのような成功はすぐに失われてしまいます。


 親は、ただ結果さえ出せればいいというものではないことを

 子どもに教えなければなりません。


 そのためには、結果ではなく、

「頑張ったね」というふうに

 結果に至る過程に注目する言葉をかけましょう。


 思うような点数を取れなかった時も、

 失敗することを怖れずに次回も挑戦できるように

 子どもを叱ってはいけません。



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