191129 立花隆 / 『「知」のソフトウェア』 読書グラフィ 今日読んだ本

読書グラフィ 今日読んだ本

立花隆 / 『「知」のソフトウェア』



●人から実のある話をきこうとする際の心がまえ


 最も大切なことは、

 自分がその相手から聞くべきことを知っておくことである。


 これ以上に本質的に大切なことは何もなく、

 あとは大部分が瑣末な(さまつな)テクニック論である。


「問題を正しくたてられたら、答えを半分見い出したも同然」

 とよくいわれる。これはまったく正しい。

 同様に、聞き取りに際しても、聞くべきことがわかっていれば、

 半分聞き出したも同然なのである。



●人にものを問わんとする人は、

 人にものを問うことの恐ろしさを知るために、

 プラトンの対話篇の一つや二つは読んでおくべきだろう。



●知りたい欲求は、質問の形をとって整理されなければならない。

 その際に、まず、自分の知りたいことがどういうカテゴリーに

 属すことなのかを分析、検討しておくことが必要である。


 それによって問いの立て方がちがってくるからである。


 具体的にいえば、第一に、知ろうとしていることが、

 何らかの事実なのか、それとも事実以外のこと、

 たとえば、相手の意見や判断といったことなのかを

 区別することが重要である。


 次に、事実として、それは客観的事実なのか、

 それとも主観的、内的事実なのかを区別する。

 心境、心情といったことは後者にあたる。


 客観的事実はさらに、二つに分けて考える。


 歴史的、経験的事実なのか、

 それとも普遍的、抽象的事実なのかである。


 記憶か、知識かといってもよい。



□ウェルマン『反対尋問』

 反対尋問の技術の指南書として

 古典的名著にかぞえられている書物である。



●いい話を聞くための条件を一語で要約するなら、

 こいつは語るに足るやつだと相手に思わせることである。


「語るに足るやつ」とは、話が通じる相手ということである。


 知的に話が通じるためには、

 充分な予備知識と理解力を持っているなと

 相手に思ってもらわなければならない。


 情的に話が通じるためには、

 自分の気持をよくわかってくれるなと

 思ってもらわなければならない。


 そして最も基本的なこととして、

 人間として信頼できるやつだと思ってもらわなければならない。


 問われる者は問う者に敏感に反応する。


 撞木(しゅもく)と鐘と同じである。

 鐘はたたき方で鳴り方が違う。


※撞木(しゅもく)・・・

 鐘・半鐘などを打ち鳴らす丁字形の棒。かねたたき。

(出典:Google



●私はどんな場合でも、二つの資料整理法に頼っている。

 それは年表とチャートである。


 資料の内容が時系列にならべられる性格のものであれば、

 必ず年表(日単位、月単位であったりする)を作る。



●年表を作るにあたって、二つだけ有用な注意を与えておこう。


 一つは年表は均一な時間軸(等分割)の上に作れということである。


 もう一つの注意は、

 一つの年表に異質なものを詰め込むなということである。


 異質なものの間の連関を読みたいという望みを可能にするのが、

 多段式の年表である。


 要するに同一のスケールの時間軸を平行にならべ、

 一つの段には同質の要素だけを記入していく。



●チャートを作る場合、

 平面図より立体図を描くように心がけたほうがよい。

 現実の事象は立体に連関しているからである。



●スタートの時点で描くのは、

 あくまで「仮説的」チャートである。


 取材が進行するにつれて、チャートは何度も描きかえられてゆく。


 ものを書くというのは、絶えざる仮説検証過程である。



●文体でもう一ついったおかねばならないのは、

 読者に媚びて(こびて)はいけないということである。


 読者への媚びは、文章を書きはじめて間もない人が

 しばしばとらわれやすい誘惑である。


 なぜそうなるのかといえば、

 必要以上に読者を意識してしまうからである。


 というよりは、自分の読者が見えていないからである。


 文章の場合は、読者への媚びは簡単に見透かされてしまい、

 媚びの効能がないばかりか、侮蔑(ぶべつ)されるのがオチである。


 だが、文章を書くときに読者をいっさい念頭に置かない

 というのも誤りである。


 読者を忘れた文章はしばしば一人よがりになる。


 本人はわかったつもりだが、読む方はいくら読み返しても

 さっぱりわからないという文章がそれである。 


 この誤りを避けるためには、

 自分の文章を客観的に読む能力を身につけることが必要である。

 これは言うは易く行なうは難い。



森村誠一悪魔の飽食』の写真誤用事件
 

 元隊員から提供された第二部に使用した写真の中に、

 七三一部隊とは関係ない

 明治四十三(一九一〇)年から翌年にかけて

 中国東北部に流行したペストの惨状の写真が混入されていた。

 提供者は本物の資料と混ぜて提供したので、

 真贋見分けられなかったのである。

(出典:森村誠一公式サイト)

 https://morimuraseiichi.com/?p=20052



#読書 #ビジネス

 

 

立花隆 / 『「知」のソフトウェア』