190513 藤原東演 / 『捨てる幸せ』 読書グラフィ 今日読んだ本

読書グラフィ 今日読んだ本

★藤原東演 / 『捨てる幸せ』



●「忙しい」とは「心を亡くす」こと。

そのまま自分をなくしてしまわないように、

なにもしない、無為な時間が誰にでも必要です。



●「自分を笑う」余裕を持つ



良寛の正式の僧名「大愚良寛」といいます。

「大愚」は「大らかな愚かさ」と読みましょう。



●「あいつはバカだ」と言われたら

「確かに自分はバカかもしれない」、

「あいつはできない」と言われたら

「確かにできないところもあるかもしれない」と、

 いったん認めてしまうのです。


 そうすることで、怒りでいっぱいだった心に少し余裕ができます。


『法句経』(お釈迦さまやその弟子たちの

 生の言葉が述べられているお経)にも、

 次のような一節があります。


「おろかなるものも おのれ愚かなりと思うは

 彼これによりて またかしこきなり」


 つまり、自分が愚かであることを認めることのできる人は、

 そうして認めることをもって賢いと言える、といった意味合いです。



●あるとき、お釈迦さまがこんなお話をされました。(抜粋)

「君が進物を持って、誰かの家を訪れたとします。

 もし相手がそれを受け取らなかったら、君はどうしますか」

「持って帰るしかありません」

「君は散々、私の悪口を言いましたね。

 でも私はその悪口を何とも思いませんでした。

 つまり君の悪口を受け取りませんでした。


 だから君は自分が私に浴びせた悪口雑言は

 君が持って帰って、自分にぶつけるしかありません。


 君は悪口を慎むしかありません。」



●悪口を言われたら、聞きながす、放っておくことが賢明です。

 ときにはボケるのもいい。

「強(きょう)に逢うては即ち弱」(円覚寺管長横田南嶺老師)


 もし悪口を受け取ったら、相手の思うつぼだし、

 相手と自分が同じレベルであることを相手に分からせてしまいます。



●景徳伝燈録

「生まれることの苦しみ、老いることの苦しみ、病気になることの苦しみ、

 死ぬことの苦しみという人生の四苦を、どのように脱却したらいいのでしょう」

「青山は元、動かず、白雲は飛んで去来す」


 いついかなるときも山はじっと動かず、

 雲が来たり去ったりするのに任せているという意味。


 苦しみとは、山の上の雲のように流れて来ては去っていくもの。

 ですから人もまた山と同じように動ぜず、

 苦しみという雲が来たり去ったりするのに任せればいい。



●つい人や状況について不平不満をこぼしたくなったときには、

「期待しないこと、もし思いがけずそうなったらありがたしと喜ぶ」ことです。

 だって期待通りになることはありがたし、有ることが難し、なんですから。


●「問題は相手や物事ではなく、私自身の心なのだ」



●その人の心の受けとめ方で、物事の受けとめ方も変わってくるし、

 その心の持ちようがその日の一分、一時間を作り、一日を作っていく。

 そしてその一年が積み重なってさらに一年、ついにはあなたの一生となります。



●お施餓鬼という法要で読むお経『開甘露門(かいかんろもん)』「一切唯心造」


もし私たちが仏、本当の心を知ろうとしたら、

すべてのものや現象の本性は私たちの心が作りだしていることを、

心の目で観なくてはいけない」という意味です。


自分の心の受けとめ方が、あなたの日常の世界を素敵なものにするか、

そうでない不快なもの、さらに地獄のようなものにするか、ということです。


#読書 #人生訓