190912 姜尚中/『悩む力』 読書グラフィ 今日読んだ本

読書グラフィ 今日読んだ本

姜尚中/『悩む力』



※興味のある章を抜粋して読みました。



●(マックス・)ウェーバーは西洋近代文明の根本原理を「合理化」に置き、

 それによって人間の社会が解体され、個人がむき出しになり、

 価値観や知のあり方が分化していく過程を解き明かしました。


 それは、(夏目)漱石が描いている世界と同じく、

 文明が進むほどに、人間が救いがたく孤立していくことを示していたのです。



●17世紀 フランス 哲学者 ルネ・デカルト

「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」



夏目漱石『断簡(メモ)』

「Self-consciousnessの結果は神経衰弱を生ず。

 神経衰弱は二十世紀の共有病なり。」


 精神病理学者 哲学者 カール・ヤスパース

「「自分の城」を築こうとする者は必ず破滅する。」


 Self-consciousness = (この場合、自意識が強いと解釈)

(出典:https://eow.alc.co.jp/search?q=self-conscious



●アンビヴァレント=ambivalent

〔ある対象に対して〕相反する感情[思考・価値]を持った、両面感情[価値]の。

(出典:https://eow.alc.co.jp/search?q=ambivalent



●「人が働く」という行為のいちばん底にあるもの

 それは、「社会の中で、自分の存在を認められる」ということです。


 人がいちばんつらいのは、

「自分は見捨てられている」「誰からも顧みられていない」

 という思いではないでしょうか。


 誰からも顧みられなければ、

 社会の中に存在していないのと同じことになってしまうのです。


 社会というのは、基本的には見知らぬ者同士が集まっている集合体であり、

 だから、そこで生きるためには、

 他社から何らかの形で仲間として承認される必要があります。


 そのための手段が、働くということなのです。


 働くことによって初めて「そこにいていい」という承認が与えられる。



●私は「人はなざ働かなければならないのか」という問いの答えは、

「他者からのアテンション(ねぎらいのまなざしを向けること)」

 そして「他者へのアテンション」だと言いたいと思います。


 それを抜きにして働くことの意味はありえないと思います。


 そして、もう一つ言えば、

 このアテンションという「承認のまなざし」は、家族ではなく、

 社会的な他者から与えられる必要があるのだろうと思います。



●人間というのは、

「自分が自分として生きるために働く」のです。

「自分が社会の中で生きていていい」という実感を持つためには、

 やはり働くしかないのです。

 

 

 

●単純に「死んではいけない」とは、私には言えません。

 でも、「人とのつながり方を考えてほしい」とは言いたいのです。


 つながるためにはどうしたらいいか考えて、

 その意味を確信できたとき、

 たぶん、「生」も「死」も両方、

 同時に重みを取り戻すのではないかと思うのです。


 そう信じたいのです。



●同じように「恐くない」でも、

 子供のように「知らないから恐くない」ではなく、

 知ったうえでの、少なくとも死について考えをめぐらし、

 心構えのようなものを持ったうえでの「恐くない」

 であるべきだということです。


 そのためには、自分の人生について悩みぬくことが必要だと思います。

 それを避けていたら、たぶんいつまでたっても恐いでしょう。


 おかげで私はいま、いまだかつてないほど開き直っていて、

 大げさに言うと、「矢でも鉄砲でも持ってこい」

 という気分になることもあります。



●「悩むことを経て、恐いものがなくなる」のと同じことだと気づきました。


 たぶん最初から横着ではいけないのでしょう。


「まじめに考えぬいた果てに、横着になる」ことに意味があるのです。


 考えぬいて突きぬけろ、ということです。



#読書 #人生訓