191025 佐々木俊尚 / 『自分でつくるセーフティネット』 読書グラフィ 今日読んだ本

読書グラフィ 今日読んだ本

佐々木俊尚 / 『自分でつくるセーフティネット 生存戦略としてのIT入門』



※ここでのITはSNS的なもの。



●外の世界のたくさんの人たちと、どうすれば仲良くなれるのでしょうか。


 わたしたち自身を「悪人」「善人」と分けてしまわないこと。


 どこかに絶対的な悪人がいて、

 わたしたちをひどい目に遭わせていると考えないこと。


 わたしたちは勝者にもなれるし、敗者にもなるかもしれない。


 つねに悪人になってしまうこともあるし、善人にもなれる。


 そういう入れ替わり可能な人生であるってことを、認めることなんです。


 そこからすべてはスタートするんですよ。



□ブロガー 精神科医 シロクマ先生(熊代亨(くましろとおる))

『「若作りうつ」社会』



黒澤明監督 『野良犬』


※かつて汽車の中でリュックを盗まれた2人の人間が、

 それぞれ刑事と拳銃泥棒になってしまった紙一重な話。


 絶対的な悪とか絶対的な善とか、

 絶対的な安心とかもう絶対にダメとか、

 そういう白黒つけられる場所じゃなく、

 わたしたちはみんな入れ替え可能な中途半端なところにいるんだ、と。



鎌倉時代 偉いお坊さん 親鸞(しんらん)


「善人でも救われるんだから、悪人だったら救われて当然だ」


 親鸞は「世の中には、本当の善人などいない」と考えていたからなんです。


 わたしたちはどんなに努力をしても、

 人に迷惑をかけ、他人を傷つけ、つねに悪を引きずりながら暮らしています。


 まったく誰にも迷惑をかけず、いっさい悪をおこなっていない人など、

 いないってことです。


 だから、もし誰かが自分を「善人」と考えたとしたら、

 それは単に

「自分が他人に迷惑な存在であることを、まったく意識していない人」

 という偽善者じゃないか、と親鸞は考えたんですね。


 だから自分の悪に気づいた人、

 自分が他人に迷惑をかけていることを自覚し、

 つねにそのことに謝罪の気持ちを持ち続けている人を、

 親鸞は「悪人」と呼びました。


 つまり自覚のある人が悪人であって、自覚のない人が善人。


 だから悪人のほうが善人よりいいってことになる。


 反語的に見えたのは、そういう論理だからなんですね。



●自分もしょせんは悪人なのだから、自分の悪をあげつらって、

 他人のやってることを一方的に非難することはできないってことに、

 人が生きていることの救いがあるって親鸞は考えました。



●いまの時代、自分が中途半端な立ち位置であることを自覚し、

 善人にもなれないし偽悪者でもないと自覚し、

 善い人を目指して生きていくという立ち位置は、

 死後の世界の往生でもなく、倫理や道徳でもなく、

 まさに必要な生存戦略だと思うんですよね。



#読書 #人生訓