190507 松下幸之助 / 『指導者の条件』 読書グラフィ 今日読んだ本

読書グラフィ 今日読んだ本

松下幸之助 / 『指導者の条件』



●先憂後楽

責任者は人よりも先に憂え、後から楽しむ

という心がけをもたなければならない。



松下幸之助が指導者であり、部下を育てる過程で感得した2つの信念
 
(1)組織の責任はすべて指導者一人にある。

(2)指導者はみずからのあり方を絶えず反省、検討しなくてはいけない。



●リーダーならリーダーとしての本の読み方がある。


リーダーが初めから自分はもうあかんという気持ちでいたら、

その組織はどうなる。


もしほんとうに自分はその任にふさわしくないと思うんやったら、

さっさとその座を降りないかんのとちがうか。



●あるがままにみとめる

指導者は人、物すべてをあるがままにみとめなくてはならない。



●西ドイツの首相であったアデナウアーが、

 アメリカのアイゼンハワー大統領に会った時言ったという3つのこと。


(1)人生というものは七十歳にしてはじめてわかるものである。

 だから七十歳にならないうちは、

 ほんとうは人生について語る資格がない。


(2)いくら年をとって老人になっても、

 死ぬまで何か仕事をもつことが大事だ。


(3)怒りをもたなくてはいけない。


 これは、単なる個人的な感情、いわゆる私憤ではないと思う。

 もっと高い立場に立った怒り、つまり公憤をいっているのであろう。


 指導者としての、公の立場において、何が正しいかを考えた上で、

 これは許せないということに対しては

 大いなる怒りをもたなくてはいけないといっているのであろう。
 


●中国の賢人 墨子(ぼくし)

 何が天下の害かといえば、

 国と国とが攻めあい、家と家とが奪い合い、人と人とが殺しあうことである。


 この害は何から生ずるかといえば、互いに愛しあわないことから起こる。


 自国を愛することを知って他国を愛さない。

 自分の家を愛することを知って他家を愛さない。

 わが身を愛することを知って他人を愛さない。


 そのようにお互いに愛しあわないと、

 強い者が弱い者をとらえ、富者は貧者を侮り、貴き者は賤しき者におごり、

 姦智(かんち)にたけた者は愚者を欺くだろう。


 およそ天下の過言怨念の起こるもとは愛しあわないことから生じる。

 だから、互いに愛しあい、利しあうことが大切である。



●江戸時代の名君の一人 備前岡山の藩主 池田光政


「国家をよく治めようと思えば、

 指導者には威と恩の二つがなくてはいけない。


 威がなくて恩ばかりでは、

 甘やかされた子供が教訓を聞かないようなもので、

 ものの役に立たなくなってしまう。


 反対に威をもってきびしくばかりすれば、

 一応いうことは聞くが、ほんとうにはなつかず、結局うまくいかない。


 恩をもってよくなつけ、しかも法度の少しも崩れないように

 賞罰を行なうのをほんとうの威というべきだろう。


 だから、恩がなければ威も無用となり、

 威がなくては恩も役に立たない。


 ただ、その際大事なのは下情を知ることで、

 それがなくては恩といい威といっても、

 ほんとうには生きてこないものだ。」


 威と恩ということは、

 いいかえれば、きびしさとやさしさということであろうし、

 あるいは叱ることとほめることといってもいいだろう。

 その二つをともにもって、

 しかもそのかねあいを適切にしなくてはならないということである。



※実践は自己責任で。


#読書 #人生訓